ポスト団塊世代のお気楽な日々

初老に近いおばさんが自由気ままに書き綴る自分勝手なひとり言

2度目の引っ越し

「いい色ブログ」の閉鎖に伴い「はてなダイアリー」に引っ越したのが2011年7月のこと。
そしてまた、このたび、「はてなダイアリー」が姿を消すというので「はてなブログ」に引っ越してきた。
と言っても、移行作業は全てお任せで、前回のときの手間を思えば嘘のよう。。

その気分になったら、ブログを再開したいと思っている。
なにしろ、ほぼ2年間お休みしていた。
すっかり休み癖がついてしまった。

食っちゃ寝、食っちゃ寝じゃいかん。
たまには頭も使え。

 と我が身を叱咤激励しつつも、一体、いつのことになるのやら、、、。

 

ゴミ出し

娘たちが台北に住んでいた頃はゴミ収集については、「乙女の祈り」の音楽が聞こえてくると、あ、ゴミ収集車が通ってるな、ぐらいの認識だった。
というのも、住んでいたマンションでは、住人がゴミ出し係りのおばさんを雇っていたからだ。
ところが、台中に住むようになってからはゴミ収集車はとても身近な存在になった。

1週間に5日、決まった時間に音楽を流しながら家の前を通る。
乙女の祈り」が聞こえてくると住民たちはゴミ袋を手に家の前に並ぶ。
正確にはゴミ収集車と資源回収車が2台でやって来る。
住民は2種類にゴミを仕分け、ゆっくり通り過ぎる2台のトラックにそれぞれ投げ入れる。

孫が今、最も興味関心があるのが車である。
車に乗れば後部座席のチャイルドシートから運転席をジッと見つめ、運転の真似。
絵本も子ども向け自動車図鑑が一番好き。
おもちゃも車以外に興味はない様子。
ということで、ゴミ収集車も大好きだ。

午後2時過ぎ、「乙女の祈り」が聞こえてくると、娘をせかして家を出る。
運転手さんとも仲良しだ。
「ハーイ」と挨拶し、「バイバイ」と言って別れる。
運転手さんも毎度のことながら嬉しそう。
それが終わると、お昼寝タイム。

燐家の息子さん一家は実家を出て、歩いて5,6分の所にあるマンションに住んでいる。
そして、彼はいつも2時ごろ実家に車でやって来る。
ゴミを捨てるために。
彼の住むマンションの前は9時ごろ通るのでゴミ出しに間に合わないそうだ。
ニュージーランドで恋に落ちた大陸出身の妻はゴミ出しは夫任せらしい。
それで、黒のポルシェ・カイエンを運転してやってくる。
両手にゴミ袋を提げ、よれよれのスウェットシャツにジャージのパンツ、サンダル姿で降りてくる。

「息子さん、何してる人?」と訊くと「働いてないらしいよ」と娘。
「じゃ、なんでポルシェなんよ」と言うと「大金持ちなんよ、不動産がたくさんあって」との返事。
あ、そう。
彼も「南の人」なのだ。
まあゴミ出しなんだから、ポルシェからジャージにサンダルで降りてきても別にかまわないんだけど。

バスの理由

前回のブログで、桃園国際空港から台中へ行くのに何故バスなんだ?と思われた方もあるかもしれない。
新幹線があるというのに、と。

実は、わたしも迷ったのだ。
何しろ、桃園国際空港から台中へ行くのは初めてのこと。
これまで台北から台中へ行く時はいつも婿殿の車だった。
台中から台北へ戻る時は新幹線を利用したこともある。
50分くらいしかかからず、あっという間だ。

長距離バスで行くべきか、新幹線にすべきか。
新幹線なら時間は節約できる。
しかし、新幹線に乗るのに高速鉄道の桃園駅まで行かなければならない。
つまり、一度は乗り換えが必要ということだ。
長距離バスなら空港から出ているから乗り換える手間が省ける。
時間はかかるものの、別に急ぐ旅ではない。
20キロのスーツケースを携えて移動するのは大変だろうと思った。

結果的にはバスで正解だった。
一度乗り込めば、娘から降りるように指示されていた朝馬駅までノンストップ。
高速道路を下りる時に少し渋滞した程度で、スイスイとバスは走行。
1時間50分は窓から景色を眺めているうちに、眠りに落ちる間もなく過ぎていった。

帰りは、たまたま沖縄へ行く婿殿と同じ時間帯の便だったので、彼の車に便乗して桃園国際空港へ。
のんびり屋の婿殿は、たとえ飛行機の旅でも余裕を持って出発するということがない。
ぎりぎりの時間に家を出る。
しかも、出発後ガソリンスタンドへ寄り、タイヤに空気を入れる。
ついでに給油も。
(わたしなら空気入れも給油も前日に済ませておく)
途中でトイレにも寄る。
(ま、生理現象だからしかたないか)
その分、飛ばす、飛ばす。
速度メーターは常に120キロ超。
すきあらば車線変更。
怖くて暢気に寝てるどころじゃなかった。

これからは婿殿とスケジュールが重なりませぬように。

中国人観光客激増の余波

去年の4月に台湾へ行ったときも入国審査に長蛇の列ができていたのを記憶している。
並んでいるのは日本よりも大陸からの観光客の方がはるかに多かったことも。
でも、この度の混雑ぶりは尋常ではなかった。
土曜日だったことと、到着時刻が2時半と、利用客の多い時間帯だったせいもあるのだろうか。

入国審査のフロアに入ると、外国人用の入国審査スペースは人で埋まっていた。
30分ぐらい並んでやっと審査官の見える位置までたどり着く。
ここからはどの窓口に並ぶかで差が出る。
運悪く、わたしが並んだ列に大陸の観光客が居た。
彼は窓口周辺の写真をスマホで撮っており、注意を受けていた。
その女性審査官が彼を叱責し、スマホを取り上げ、画像を削除するのに無駄に時間をとられた。

やっと入国審査を抜け、手荷物受取レーンを表示する掲示板の前に立つ。
ところが、そこにわたしの乗った便が見当たらない。
わたしの乗った便より後に到着した便が表示されている。
取りあえず、受取レーンのある一階まで降り、トイレに行く。
戻って一階の掲示板を確認すると、第1レーンであるのがわかり、一番端の第1レーンへ急ぐ。
ところが、その第1レーンの掲示板に、わたしの乗った便名が表示されていない。
いつもなら数便の便名が表示されているだけで空欄があるのに、空欄は皆無。
一度では表示しきれないほどの便数の荷物が回っているのだ。
しばらく掲示板を見ていると、表示が変わった時やっとわたしの便名が目に入った。
このレーンにあるのを確信し、荷物を待つ。
既に到着から1時間以上経っているのだから、まだ荷物が出て来ないなどあり得ない。
ふとレーンのほとりを見てみると、荷物の塊が目に入った。
もしや、その中に、、、
でも、その塊にわたしのスーツケースはない。
近くに居た係りの人に訊くと、彼は便名を確認し、レーンからずっと離れた場所の荷物の塊を指差した。
次々新しい便の荷物が出てくるので、なかなか受け取りがないものは彼が他所へ移動していたようだ。
こんな経験は初めてだった。

長距離バスの切符売り場までやって来た時は、既に到着から1時間15分が過ぎていた。
15分遅れで台中行きのバスが出発したのが、4時20分ごろ。
なんと2時間余りを空港内で過ごしたことになる。
到着後、こんなに長時間、桃園国際空港に居たのは初めてだ。

大陸からの観光客が激増したせいだけではあるまいが、本当にまいった。
次回の台湾訪問は土曜日、2時半着は避けなければならないと思った。
ちゃんと覚えていますように。

臭臭鍋

台湾の屋台街を歩いたことのある方なら、一度はあの強烈な臭いに遭遇されたことがあると思う。
悪臭の正体は「臭豆腐」。
名前の通り、まことに臭い。
これをテイクアウトしてバスに乗り込む人が居る。
偶々そのバスに乗っていたら最悪である。
20年前に台北に住んでいた頃は、何度かそんな不運に見舞われた。
最近では公共交通機関に食べ物を持ち込むことが禁止されたらしく、今では懐かしい思い出である。

実は、わたしも一度だけ臭豆腐を口にしたことがある。
台湾の人に臭いに反して美味しいからと強く勧められ、断れないわたしは意を決した。(大袈裟な!)
臭いを嗅がないように息を止めて一気に食べた。
不味くはなかったが、再度、食べてみようという気にはなれず、今日に至っている。

そして、今回の台中訪問で、初めて見たのがこの看板。
「臭臭鍋」。

それも、100メートルも歩かないうちに2つ目が目に入った。

臭臭鍋は流行っているのだろうか。
鍋の中には一体何が入っているのだろうか。
娘に訊いても、娘も食べに行ったことがないからわからないと言う。

大体、臭豆腐もそうだが、名前を見ただけで食欲がなくなるではないか。
もう少し考えて命名すればよさそうなものを、、、
と思うのは日本人のわたしだけで、「臭」と聞いただけで食欲が喚起される国民もいるということだろう。

タダの威力

台湾土産と言えばパイナップルケーキ。
カラスミ、烏龍茶も有名だが、何しろ高い。
ケチなわたしにはなかなか手が出ない。
そこで、パイナップルケーキとなる。
しかし、これも年々高級なのが出回るようになり、パイナップルケーキと言えどもピンキリである。
最近では、「微熱山丘」のパイナップルケーキが高級品として知られている。

パイナップルの生産地は中南部である。
「微熱山丘」の会社の発祥地は中部の南投縣。
南投縣もパイナップルの大生産地のひとつである。

日曜日、婿殿の運転でここを訪れた。
「微熱山丘」(Sunny Hills)の案内板が目に入って来る。

車から降りて目的地に着くまでの間にも果物や野菜の屋台が延々と続く。
ここではパイナップルも安い。

鳳梨がパイナップルの中国語である。
(大陸では違う言葉が使われているようだ)
一堆というのは一山の意味で写真では5個ある。
5個で100元(約350円)だから、市場やスーパーよりかなり安い。

そして、この長蛇の列。
果てしなく長い行列が続いていた。

これは、「微熱山丘」のパイナップルケーキ一個と烏龍茶一杯を無料で貰うための行列。
まさにタダの威力。
さすがのわたしもここに並ぶ勇気はなかった。

南の人

台中を歩いていると、人々の印象が台北の人たちと違う。
その表情に緊張感がなく、のんびりと寛いだ感じ。
身に着けている物も、その辺に放り投げてある物を無造作に引っかけて出て来たというような出で立ち。
着る物に対し、ほとんどこだわりがないように見える。

わたしが台中へやって来たと知り、高雄から十数年来の知り合いの蘇さんが訪ねて来た。
高雄は台湾南部にあり、台北に次ぐ第2の都市である。

ドアチャイムが鳴ったので、たまたまリビングに居たわたしが玄関を開けた。
蘇さんは裸足で入って来た。

えっ、どうして???
玄関に入る前に靴を脱いだの?、、、それにしても、裸足、、、
高雄からサンダルで来たの???

彼を中に招き入れ、さりげなくドアを開けて確認すると、ゴム製のブルーのサンダルが目に入った。

2月にサンダル?あのサンダルで3時間のバスの旅?
まっ、いいかぁ。

上に羽織っているのは、着古して毛玉がいっぱい付いた、くたびれたアクリルのジャンパー。

上はジャンパーでも下は裸足、、、
まっ、いいかぁ。

でも、彼は別に靴も買えないような余裕のない生活を送っているわけではない。
お金持ちなのである。
台湾でも名の知れた会社の息子なのである。

彼が立ち去った後、娘や婿殿と話した。
二人が言うには、台北はある程度きちんとした身なりの人が多いが、南に行くほど服装に無頓着になる。
服装にお金をかけなくなる。
蘇さんもその例に漏れないようだ。

なにしろ高雄は熱帯。
九州ほどの面積しかない、狭い、狭い台湾だが、亜熱帯地方と熱帯地方に分かれている。
亜熱帯の台北とは人々の考え方も生活様式も違って当然か。

蘇さんが南の人なのにあらためて思いを致した。

惜しい!

台中の婿殿の実家を訪問するのは今回で4度目である。
リノベーションして、まさに一新した。
1階のリビング、ダイニング、キッチンは間取りは同じだが、最新のシステムキッチンが入り、すばらしく使い勝手がよくなった。
台北の賃貸マンションは台所が狭かっただけに、雲泥の差である。
2階にはお姑さんの部屋と婿殿の趣味の部屋、そして、客室とバスルームがある。
3階は娘たちの部屋と婿殿の寝室と婿殿の仕事部屋。
屋上には広い収納部屋も新たに造られていた。

トイレは一階、姑の部屋、客室、娘たちの部屋、婿殿の寝室と計5つもある。
3つあるバスルームのうちの2ヵ所にバスタブも入っている。
ゆっくりバスタブに浸かる習慣のない台湾の住まいにしては珍しい造りだ。

客は快適である。
大きな窓のある広い客室の隣に、バスタブ、シャワールーム、暖房温水便座が備わったバスルームがある。
しかも、バスルーム全体を暖める暖房設備まで付いている。
でも、真冬でも暖かい台中で、こんなもの、出番があるのか?!

見た目は一流ホテル並みのバスルームだが、さすがに何事にも鷹揚なお国柄らしい詰めの甘さ。
洗面台の壁に取り付けてある鏡に垂直に填め込まれたガラス製の洒落た棚。
この位置が悪い。
既にわたしはうがいをした水をうつむいて吐き出すとき、二度もおでこをぶつけた。
(娘には同情されるどころか学習能力がないと馬鹿にされた)
さらに救えないのは洗面台の形と高さ。
洗面台はとてもスタイリッシュなのだが、奥行きが浅く、かつ、その位置が高すぎて、洗顔する度に水が腕を伝わって足元へ零れ落ちる。

実に惜しい!と思う。

トリリンガル

1歳8ヶ月になった孫がよく喋るようになっていた。
去年の11月に帰省した時は1歳5ヶ月なのに意味のある言葉が出てこなかった。
娘の育児日記を読み返すと娘は言葉がとても早かったので、男の子は女の子に比べて言葉が遅いというのは本当らしいと思ったものだ。
でも、この3ヶ月の間に、ずいぶん言葉が増えていた。

母親は日本語で孫に話しかけ、父親は中国語、おばあちゃんは台湾語で話しかける。
3人はいつも中国語で会話している。
孫を遊びに連れ出すおばあちゃんの外での会話は台湾語
台北と違い、台中では中国語より台湾語が耳に入ることの方が断然多い。
一体、孫の口からどんな言葉が出てくるのか、興味津々だった。

おばあちゃんのことは「アマー」と台湾語で呼び、ご近所の懇意なおじさんは「チェコン」(台湾語)で、少し若いおじさんは「シュウシュウ」(中国語)である。
「おじちゃん」ではない。
動物の名前などは、魚は「さかな」ではなく「ユィ」と中国語で言う。
馬も「うま」ではなく「マァ」と中国語。
でも、パンダは「パンダ」で「ションマオ」ではない。
車は「くるま」ではなく「チィチャ」と中国語。
「ありがとう」は「シエシエ」。
「怖い」は「怕(パァ)」。
日本語でパパ、ママの次に覚えたのは、孫の大好物の「バナナ」だそうだ。
わたし達のことは「ばーちゃん」「じーちゃん」。
これは、娘が教え込んだようだ。
わたしも「アマー」と呼ばれても返事に困る。

最近気づいた。
孫はたいてい短い方を言っている。
「バナナ」を簡単に言えるのも中国語では「シャンチャオ」で「バナナ」の方が短いからだろう。
でも、「くるま」と言えば車のことだとわかっているし、「シャンチャオ」といえばバナナのことだと理解している。
どっちが言いやすいか本能的に選択し、言葉を発するのだろう。
なかなかのものである。

果物天国

なんとブログを書くのは7ヶ月ぶりだ。
長い間、ご無沙汰していた。

今、台湾にいる。
去年の4月以来10ヶ月ぶりの台湾。

娘一家が台北から婿殿の故郷、台中に引っ越してから7ヶ月が過ぎた。
お姑さんが一人で暮らしていた家を1年半かけてリノベーションした家を見学するのが第一目的。
次に、同居生活で日ごと募る娘のお姑さんへの不平不満を聞くのが二番目の目的。
そして、三番目は1歳8ヶ月になった孫のお守り。

夫は仕事の都合で今回も来られず、夫に留守役を頼み、一人でやってきた。
もう1週間が過ぎ、残り5日間となった。
夫は飢えずに何とか生きながらえているようである。
一日おきのスカイプで見る限り、元気そうである。

孫が昼寝をする2時間がわたしの自由になる時間だ。
久々にブログを書こうと思いついた。

今回の台湾訪問では珍しい果物を食べた。
台中に住めばこその果物。
台北では見たことも食べたこともない果物との出会い。

そのひとつが黄金果(ホワンチンクオ)。
名前の通り皮は黄金色。
中身はレイシに似た味と食感。
おいしいが、食べすぎると果実に触れた指や唇がネチネチと糊がついたようになる。

二つ目は仙桃(シェンタオ)。
黄色い皮を剥くと、身も黄色。
卵の黄身のよう。
味は悪臭を放つあのドリアンからその臭いを抜いたみたい。
サツマイモのようにホクホクした食感。

冬でも果物が豊富。
三食のデザートにいつもさまざまな果物が付く。
まさしく台湾は果物天国だ。
ここに住めば、容易く糖尿病になるのも仕方ないかと思えてくる。

あわや、、、

昨日のお昼過ぎのことである。
メールチェックすると、取り引きのある信用金庫のインターネットバンキングから「重要なお知らせ」というのが届いていた。
出入金を知らせるメールはたいてい直ぐに削除するが、「重要」とあるし、とりあえず読んでみる。
すると、「利用限度額の変更を受け付けました」とある。

えっ、何で?そんなこと何もしていないのに、、、おかしい、、、
もしかして、いよいよわたしもネットバンキング不正利用の被害者になった?
何者かが勝手に振込限度額を引き上げて、既にどこかに送金してしまった?

いや、そんなことはあり得ない。
セキュリティ対策ソフトもWindowsの更新も万全だ。
IDやパスワードを記したExcelファイルにはパスワードをかけているし、信金のネットバンキングにはワンタイムパスワードを導入している。
そうそう簡単には不正ログインできないはずだ。
ま、ともかく口座を調べてみなくては。

ネットバンキングにログインし、不正送金されていないかチェックする。
その形跡はなく、ひとまず安心する。
そして、メールの最後にあった問い合わせ先に電話する。

若い女性が電話に出る。
事情を話すと、しばらく調べるから待ってくれと言われ、受話器を持ったまま5分くらい辛抱強く待つ。
すると、メールの着信時刻の数分前に確かに変更がなされていると言う。
そして、奥様じゃなくて、ご主人が変更されたとは考えられないか、と訊く。
夫はネットバンキングが何かも知らないような人だと言うと、では、本部の方に連絡してよく調査してから折り返し電話しますとのこと。
10分後、若い男性から電話がある。
本部の方に問い合わせたら、都度振込限度額が499,000円だったのを勝手に500,000万円に変更したようだとのこと。

何という人騒がせな!
それならそのように記したメールを送るべきではないか、と思ったが黙っていた。
争うのは夫とだけで十分だ。

時差は7時間

数日前、アンジェに滞在中の娘とSkypeした。
アンジェに行ってから初めてのSkypeである。
こちらが4時半で、アンジェは朝の9時半。
丁度、朝食を終えたところだった。

パソコン画面に現れた娘はダウンベストを羽織っている。
わたしは半袖のTシャツ姿。
娘の第一声は「そっちはやっぱり暑いんだねぇ!」。
わたしの第一声は「えっ、ダウンベスト!?そんなに寒い?」。
最低気温は10度に届かないと。
まるで、台湾の真冬並みの寒さ。
無理もないか、あの厚着も。

先月、帰省した時もまだ布おむつで育てていたが、まさか、フランスまで布おむつを持参してはいないだろうと思いつつ尋ねると、布おむつも持ってきているとのこと。
ただ、荷物におむつカバーを入れ忘れ、着けてきた一枚しかないので困っていると。
でも、日本で大量に買った紙おむつも持ってきたので、しばらく大丈夫だと思うけどとも。
フランスでおむつカバー売ってるだろうかと心配する娘。
まあ、フランスはきっとエコライフが徹底している国だと思うから、布おむつ派のママも多いんじゃないの、といい加減なことを言っておく。

しばらくして、娘はiPadを片手に張り切って部屋の中や庭を見せて回る。
古民家というだけあって、見るからに古そう。
何でも、400年ぐらい前に建てられた物件とのこと。
庭もさまざまな種類の高木がうっそうと生繁っている。

床材は石のようである。
これでは土足生活は当然だ。
孫がハイハイして汚れるから大変ね、と言うと、伝い歩きしかしなくなったとのこと。
そうか、やはり、土足文化の国に暮らすと、ハイハイはしたくなくなるのだろうか。
うまくできているものだ。

土足文化

娘一家とお姑さんの4人は今、フランスのアンジェにいる。
★アンジェ便りに記したが、そこには6年前にも夫婦で滞在している。

しかし、今回は1歳になったばかりの赤ん坊を伴っての1か月間の旅行である。
心配なのは13時間のフライトに赤ん坊が耐えられるか、という問題。
そして、13時間も10キロの塊を膝の上に載せることになる娘の身が心配。
アンジェに着いてからは賃貸の古民家で自炊するとのことなので、食生活の心配はなかった。

ところが、出発してから5日経っても電話もメールも来ない。
夫がイライラして、昨日、メールした。
即刻、返事が来る。

夫のメールは文字化けして読めないが、無事に到着し、4人とも元気とのことで、とりあえず安心する。
孫はフライト中も普段通りに寝て、食べて、遊んで無邪気に過ごしたと。
わたしの杞憂に終わりホッとする。
ただ、やはり娘は緊張と抱っこのせいで下痢になったようだ。

アンジェでの生活は、気候もよくて快適らしい。
台湾の蒸し暑さから解放され、生き返ったような塩梅らしい。
ただ、日が暮れるのが遅いので、孫の寝ぼけ泣きがひどく、娘は睡眠不足に悩まされているようだ。
メールを読んで初めて気づいたのが、次の一文。

賃貸なので、家具もあまりなく、あっても中はほとんど空なので、▼▼も安心して遊べるよ。
ただ、土足文化だから、ハイハイすると、手足がすぐに汚れるね。

そうなのだ。
彼の地では日本や台湾と違って部屋の中でも靴を履いて過ごすのだ。
ハイハイすれば、手も足も汚れるのだ。
一体、アメリカやヨーロッパの赤ちゃんたちはハイハイなんてするのだろうか?
お座りができるようになったら、ハイハイは飛ばして直ぐに伝い歩きに移るのだろうか?
ハリウッド映画で赤ちゃんがハイハイしてるシーンを見たことってなかったかなぁ、などと考え込んだ次第である。

情と知

孫とのSkypeは楽しい。
遠く離れていても、すぐ傍に居るような気がする。

2週間前に娘一家は台湾へ帰って行った。
その数日後、孫は1歳の誕生日を迎え、Skypeした。
孫はまだわたし達が記憶の片隅に残っているようで、どこかで見たことあるような顔だなぁというような表情でじっとわたし達を見つめる。
そして、おもむろに手を伸ばし、わたし達が映っている画面に触ろうとする。
画面が小さな手のひらでいっぱいになる。
夫が言う。
「▼▼くん、かわいそう」

そして、10日後の昨日のSkype
この前と同じように、興味津々の顔でわたし達を見つめる孫。
まだ、ジジババを覚えているようだ。
わけのわからない言葉で一生懸命に話しかける。
また手を伸ばして画面に触れる。
画面に手のひらが大写しになる。
それから上半身だけが映る。
娘が、「▼▼、裏側を覗いてるよ。二人が居ると思ってるんかねぇ」と言う。
そして画面は再び孫の顔になる。
何か思案しているようにも見えるし、哀しそうにも見える。
夫はしきりに「▼▼くん、かわいそう」を繰り返す。

Skypeが終わってからわたしは夫に言った。
「かわいそう、かわいそうって、あなたもしつこいよね。
 かわいそうって思うより、すごいなぁって思わんかった?
 ▼▼くん、画面の裏側を見てみようって行動に出たんよ。
 10日間ですごい成長じゃない!」

夫が感心して言った。
「お、そうかぁ。気が付かんかった。
 やっぱり僕は情の人間、ユリは知の人間じゃ」

姪に愚痴る

一週間前、姪からメールが届いた。

そういえば、△△ちゃんが2週間くらい帰ってきとってんだってね。
もう台湾に帰っちゃったん?
2週間ならゆっくりできていいね。
私なんて長くて3日だからうらやましいよ。
中途半端に距離があるからちょくちょくってわけにもいかないしね。

わたしの返事。

5月は本当に忙しかったです。
4月に半月ほどお手伝いさんに△△の所へ行き、コマネズミのように働き、その疲れも取れるか取れないかのうちに△△たちが来日。
その準備と滞在中の世話、皆が帰ってからの後片付け…。
やっと今日あたりから平常通りの生活が送れそうです。
というわけで、全仏オープンがあったことも、そういえば、錦織のこと、ラジオのニュースで流れてたなぁ、という程度。(-_-;)
録画番組を見るどころか、テレビも見ていません。
特に、滞在中の13日から30日までの18日間は、テレビの前に座るということがありませんでした。
それくらい、娘一家に振り回された、という感じです。
  〈中略〉
始めに書いたように、△△たち、18日間も居ました。
さすがに疲れるよ。
2週間目頃にわたしもキレたよ。
一度、4人分の食事の用意も離乳食作りも放棄した。
次回からはもっと短くして欲しいというわたしの本音も△△に伝わったと思うよ。
孫はかわいいけど、18日間も4人プラス乳児の3食の用意に追われる生活はうんざりよ、正直言って。(-_-;)

姪の返事。

色々と大変だったんだね。
娘と孫に会えるからといって嬉しいばかりじゃないんだね。
確かに食事作りは大変だよね〜、何を作ろうか毎日気になるもんね。
でも、息子じゃなくて娘なんだから、気兼ねなく一緒に作れたりするんじゃないの?

わたしの返事。

年を取ると、たいてい人は保守的になります。
普段の生活がガラリと変わるだけで、年寄りにはストレスになったりするものです。
数日ならまだしも、18日間も非日常が続くと、やはり大変。
何もしない(つまり飲んで食べるだけの)◇◇(夫)でさえ、2週間が限度だと言っていました。
いつも二人で気ままに暢気に暮らしているのに、一気に5人の生活になれば、しかもそれが18日間も続けば、そりゃあ、老体には応えるよね。
娘なんだから気兼ねなく一緒に作れるんじゃないの、と書いてたけど、食事は全部わたしが用意しました。
△△が作ったのは、わたしが外出して帰りが遅くなったお昼ご飯一食だけ。
△△曰く、偶に実家に戻ったときくらいは何もしたくないそうです。
わたしも出来るだけのことはしてやろうと頑張るし…。
親子3人の食事ならさほど気を遣わなくてもいいけど、▽▽(婿殿)が居ればそういうわけにはいかないしね。
多分、△△と▲▲(孫)だけの帰省なら、疲れ方も違うと思うよ。
他人が一人加わるだけでメニューも気分も違ってくるものなんよ。
  〈後略〉

というわけで、やっと普段の生活が戻り、自由を満喫している今日この頃です。!(^^)!