ポスト団塊世代のお気楽な日々

初老に近いおばさんが自由気ままに書き綴る自分勝手なひとり言

★南無妙法蓮華経

この数年、我が家の金のなる木は大きく育ち、葉っぱもふさふさ茂り、可憐な花まで咲かせるので、訪れる人々を驚かせていた。

去年の12月頃、園芸に詳しい姉が、玄関に並べていた鉢植えの金のなる木を見て、「これ、そろそろ中に入れた方がいいよ」と言っていたのに夫がそのまま放置していた。(我が家は夫が花係)
気がついた時は、金のなる木は寒さにやられたのか、3鉢とも枯れていた。
驚いて、夫は鉢を屋内に移した。

枯れた金のなる木を見るたびに、わたしは心が痛んだ。
金のなる木が死にかけていると思うと、気持ちが沈んだ。

そもそも、「金のなる木」という名称がいけない。
木が枯れるお金が枯渇する、というイメージである。
決して気分のいいものではない。
金のなる木の盛衰が我が家の金運を占うようで憂鬱になる。

ところが、気が付いたら、金のなる木に緑色の葉っぱがわずかだが付いている。


気持ちがパッと明るくなった。
それからは、毎日、毎日、葉っぱのチェック。
一鉢は明らかに緑が増え始めたが、残りの二鉢は相変わらず景気が悪い。
でも、たとえ一鉢でもいい、死なないでおくれと、日々、念じている今日この頃である。