ポスト団塊世代のお気楽な日々

初老に近いおばさんが自由気ままに書き綴る自分勝手なひとり言

当惑

隣のおじさん、と言っても、既に90歳なのだが、昔から「おじさん」と言っているので、年をとったからといって「おじいさん」と言い換えるのは難しい。
わたしがいまだに18歳年下の姪から「ユリねえちゃん」と呼ばれるのといっしょである。
決して「ユリおばちゃん」にはならない。

で、そのおじさんに、最近、当惑している。

5、6年前からだろうか、おじさんが作った野菜や梅干し、ラッキョウをよく頂くようになった。
食べないかと言って持って来られる物をむげに断ることはできないので、ありがたく頂戴していた。
おじさん夫婦が食べきれずに残った、何年も前に漬けた、とっても、とっても、とっても塩辛い梅干に、茶色と化したやわらかいラッキョウ漬け。
そういう物はわたしは食べられないので、何でも食べられる夫の口に入っていた。

先月は、かたくて巻いていないレタスが大量に届き、炒めて食べた。
10日前には、ピンポン玉大の小粒のジャガイモと鍬で傷だらけになったジャガイモを頂いた。
5日前には、大根並みに成長した巨大お化けきゅうりが2本届いた。
中華漬けにし、毎食、食べているが、いまだになくならない。
そろそろ腐ってしまいそう。

そもそも、わたしの感覚ではよそ様に物をさしあげるときは、自分の家では古い物、出来損ないを食べても、よそ様には新しいもの、出来のいい物をあげるのが普通ではないか?
なのに、うちに届く野菜はたいてい失敗作である。
深く考えると、捨てるにはしのびない、が、隣に何でも食べてくれる家がある、と便利がられているのではないか、という気がしてきた。
そう夫に話すと、おじさんはちょっと常識を欠いているだけだ、気にするな、と言う

わたしもおじさんに悪気はないのはわかっている。
でも、なんだかなぁの気持ちである。