ポスト団塊世代のお気楽な日々

初老に近いおばさんが自由気ままに書き綴る自分勝手なひとり言

★波乱の幕開け


11日(金)、三つものスーツケースを提げて台北に到着。
今回の旅行は台中・台北と、2度の結婚披露宴を控え、ことのほか荷物が多かった。
その日のうちに台中の婿殿の家へ向かう。
わたしと夫にとっては初めての婿殿宅の訪問である。

婿殿の母親が出迎えてくださったが、父親は部屋から出て来られない。
聞くと、どうも、数日前から体調を崩しているとのこと。
熱があり、嘔吐もあるという。
明日の披露宴はなんとかなりそうだけど、予定していた日月潭旅行はキャンセルしたとのこと。
恐怖のエスクードに乗らなくてもよくなり、ひと安心。
更に、娘達と一緒に日曜日には台北に戻られると思うと、不謹慎だが嬉しくなった。
そして、その夜は、わたし達親娘三人は近くのホテルまで婿殿に送ってもらう。

12日(土)は結婚披露宴。
娘はホテルの近くの美容院でメイクとウェディングドレスの着付けをしてもらう。
台湾の風習に従い、真っ赤なリボンで飾られた車で婿殿が娘を迎えに来た。

披露宴会場は、婿殿の家に面した2車線の道路を全面封鎖して設えてあった。(もちろん警察の許可を得ている)
派手な色合いのテントが張られ、華やかなクロスで飾られた丸テーブル27卓と椅子270席。
美味しそうな匂いも漂っていた。
家の横の空き地ではコックさんたちが料理をしていた。

開始予定の12時を40分過ぎてやっと披露宴は始まった。
大勢の参加者の騒々しいお喋りと旺盛な食欲の中で宴は無事、終了した。
心温まる、素晴らしい披露宴だった。

父親の体は心配だったが、ともかく、結婚披露宴が終わり、喜びと興奮の中で3階に上がった。
わたし達の部屋は3階に用意されていた。

そして、翌日の朝のことである。
まだ深い眠りの中にいたわたしは、夫に揺り起こされた。
5時前だっただろうか、階下が騒々しいのに夫が気づいたのだ。
ドアを開けると下から「クァイ!クァイ!(早く!早く!)」という声が聞こえた。
何事だろうと思い、娘を呼ぶと、父親がトイレで倒れ、意識がないとのこと。
娘は泣いているように見えた。
間もなく救急車が来て父親は運び出され、しばらくして、父親が亡くなられたという電話がかかってきた。

結婚披露宴の翌日が「忌」の始まりとなった。