ポスト団塊世代のお気楽な日々

初老に近いおばさんが自由気ままに書き綴る自分勝手なひとり言

★歓喜、そして悲嘆

父親の死亡を伝える電話がかかってから間もなく、葬儀関係の業者がやって来た。
即座に、昨日入り口に掛かっていた、祝い事を示す真っ赤な幕が畳まれ、「厳制」(日本では「忌中」)と書かれた白い紙が張られた。
リビングルームは壁一面が黄金色のカーテンで覆われた。

しばらくして父親の遺体が病院から戻ってきた。

南無地蔵菩薩経を信じる婿殿の兄夫婦が中心となって全てが進んでいった。
死者を全ての苦しみから解放して来世に送るため、死後8時間は「阿弥陀仏(アーミートゥオフォー)」を唱え続ける。

遺体が戻って来たのが7時前。
1時まで、遺族が皆、声を合わせ「アーミートゥオフォー」と唱え続けた。
もちろん、わたしも夫も、である。
泣いている婿殿が視野に入ると、わたしまで涙がこぼれてしまう。

阿弥陀仏」を唱えている間にも、昨日、披露宴で会ったばかりの親戚の人達が三々五々、弔いにやって来る。
どのように挨拶をしたらいいのか、わからない。
逆に慰められると、不覚にも涙で目が霞んでしまう。
1時になると、業者が祭壇を設えに再度やって来る。
遺体は検死を受けた後、子ども達に付き添われて市の霊安室へ運ばれた。
告別式までそこに安置される。
告別式の日にちは直ぐには決まらず、占いで決めるらしかった。

その日の夕方、台北での結婚披露宴は中止することが決まった。
当然だろう。
覚悟はしていたが、やはり力が抜けた。
娘はその夜、日本から来る予定だった友達全員にEメールを出した。
飛行機のチケットやホテルのキャンセルの手続きがあるから、急がなければならなかった。

夜、二階に下りたとき、娘達の部屋のドアが開いていたので、娘に声をかけて中を覗くと、二人がベッドの上で寄り添って座っていた。
娘は婿殿を抱き寄せ、彼の頭を撫でていた。
婿殿は娘の胸で泣いていた。

歓喜に包まれていた新婚夫婦は、数時間後には悲嘆に暮れる遺族となったのである。