ポスト団塊世代のお気楽な日々

初老に近いおばさんが自由気ままに書き綴る自分勝手なひとり言

★素食のせいだけではない


父親が亡くなった翌日の月曜日には、遺族が台中市の山腹にある尼寺にお参りに行った。
わたしと夫は行かなくてもいいと言われたが、一緒に行った。
嫁の両親としては、たとえ要請されなくても、そうすべきだと思ったのだ。
できるだけ地味な色の地味な服装で、と言われたが用意していない。
派手なデザインだが披露宴で着た黒のスカートと、たまたま持参していた紺のブラウスで参列する。

お参りは一時間半、続いた。
南無地蔵菩薩経の経本を台湾語で読み、立ったり跪いたりを何度も何度も繰り返す。
もちろん、初めての経験である。
疲れた。

元々、日月潭旅行がキャンセルになった時、日曜日の夜には娘達と台北に戻ることになっていた。
しかし、父親の突然の死によって、事態は変わった。

夫を亡くした母親を一人にして子ども達が台北に戻るわけにはいかない。
短くとも火曜日の夜まで娘達は台中に滞在すると言う。
わたし達が冴えない表情になったのを娘は見逃さなかった。
ブスっとした、というより怖い顔をしてわたし達を問い詰める。
 
  台中が嫌なん?
  嫌だったら二人で先に台北へ帰ってもいいんよっ。
  でも、元々、日月潭へ旅行する予定だったんだから、着替えもあるでしょっ。
  それとも素食が気に入らんの?

素食(スゥシィ)というのは、いわゆる精進料理である。
台湾の仏教徒は、死後49日間は遺族は素食を続けなければならない。

実は、結婚披露宴の食事も素食だった。
慶事の際に、牛や豚、鶏を殺してはいけないという両親、兄夫婦の考えに因るものらしかった。
と言っても、見た目、とても華やかで、しかも美味しい素食だったので、わたしは十分に満喫した。
それに、台北での披露宴は江浙料理を予定していたので、全然、気にもならず、珍しい素食料理を楽しんだぐらいだ。

しかし、結婚披露宴の日からずーーーっと朝も昼も夜も素食。
婿殿の兄が作る素食か、素食専門店で買ってきた素食だ。
兄は料理が上手だが、いい加減、目先の変わった物が食べたくなっていた。
せっかく食の豊かな台湾へ来て、毎日が素食である。
飽きが来ていた。
罰当たりなわたしである。


それだけではない。
悲しみに沈む台中の家に居るのが、夫もわたしも辛くなっていた。
食事中も、突然、母親が泣き始める。
サッと立ち上がり、母親の背中をさすり、慰める子ども達。
わたし達はどうしたらいいのか、何と言えばいいのかわからない。
少しでも早く、そこから抜け出したくなっていた。
それでも、わたし達が台北に戻ったのは火曜日の夕方だった。
  台中で4日間を過ごしたのである。
  二人とも、よく耐えた。

  台中で新幹線に乗りこんだ時、やっと緊張感から解放され、
 自然に笑みがこぼれた。