ポスト団塊世代のお気楽な日々

初老に近いおばさんが自由気ままに書き綴る自分勝手なひとり言

★お通夜あれこれ

91歳まで生きると、死別は悲しいことに違いないのに、お通夜では「悲嘆に暮れる」という雰囲気はあまり感じられない。
むしろ、久しぶりに会う親戚同士が車座になり、あちこちで話が盛り上がっている。

お通夜の儀式が始まっても、皆、何だか浮ついた気分だ。

ご住職さんが来られ、挨拶の後、お経が始まる。
隣に座っている姉の数珠が切れ、真珠が飛び散る。
姉は、「ぎゃっ!」と奇声を上げ、周りの人達に、「拾って、拾って」と喚いている。
お経どころではない姉は、「ひとつも残さないでよっ!」と、もはや命令口調。
皆は他人の座布団まで捲って、真剣に他人の真珠をかき集める。
後ろに居た義兄が、「全く△子のやりそうなことじゃーあるよ」と囁き、冷笑している。

お経が佳境に入った頃である。
斜め前に座っていた、伯父の73歳の末弟(わたしにとっては叔父)の携帯が鳴り始める。
叔父は振り返ってわたしを睨み、「ユリのじゃないか?」と、とぼけたことを言う。
「なに言ってるんですか!叔父さんのでしょ!」と教えてあげる。
叔父はおもむろに携帯を取り出し、着信メロディーを止めようと、あちこちボタンを押しまくる。
やっと静まる。
  
それから数分後、静寂の中、後ろの方で、再び、けたたましく着信メロディーが鳴り響く。
普通、他人の携帯が鳴るのを聞いたら、自分のがマナーモードのなっているか確認するだろうに。

お通夜の締めは喪主の挨拶だ。
喪主は、伯父の長男。
もちろん、喪主を務めるのは初めてだ。
座ったまま、参列者の方に向きを変えず、仏壇に向かって挨拶し始めた。
原稿を読んでいるのが見て取れる。

 本日はお忙しい中、父の葬儀においでいただき…

翌日の葬儀でも同じ挨拶をするつもりで用意した原稿だったのだろう。
あがってしまい、「葬儀」を「通夜」に言い替えるのを忘れてしまったのだ。