ポスト団塊世代のお気楽な日々

初老に近いおばさんが自由気ままに書き綴る自分勝手なひとり言

マックのお得意先

今週のお題「お弁当の思い出」

思い起こせば娘のためにお弁当を作ったのはわずか4年間である。
幼稚園の2年間と、中学2年、3年生の時。

娘は幼い頃から食欲旺盛、好き嫌いもなく何でもよく食べていたので、幼稚園時代、どんなお弁当でも空にして帰ってきた。
お弁当作りで苦労したことはない。
しかし、中学校の2年間は苦労した。
というのは、2年、3年を娘は台北日本人学校で過ごしたからだ。

台北では、日本のようには十分に食材が揃わない。
限られた食材で作るお弁当は、決してバラエティ豊かとは言えず、いつも決まりきったおかずを詰めていた。
今、思い出しても、もう少し工夫できなかったのかと、反省するところ大である。
でも、あの頃、娘は何一つ文句を言わなかった。
何故か。

当時の日本人学校には、父親が日本人で母親が台湾人のハーフの子たちが約3分の1在籍していた。
台湾人の母親はお弁当を作らない。
というか、台湾では冷たいものを食べる習慣がないので、親は冷めたお弁当を持たせたくないし、子どもも食べたくない。
と聞いていたが、日本人の母親たちのように、冷めても美味しいおかずを作れないし、見た目も美しく、彩りのいいお弁当は作れないので、最初からお弁当作りを放棄していたのかもしれない。
それで、ハーフの子たちは、学校の直ぐ裏にあったマクドナルドで配達してもらっていた。
彼らの昼ご飯はいつもマックのハンバーガーだったのだ。

彼女なりに色々感じるところがあったのだろう。
日本人の母親が作る手の込んだお弁当を持参するクラスメートと比べるのではなく、お弁当を持参しないハーフの子たちのことを思ったのだろう。
お弁当を持たせてもらえるだけで幸せだと感じていたのだろう。
というのは、ろくなお弁当を持たせなかった母親の勝手な想像だけど。