ポスト団塊世代のお気楽な日々

初老に近いおばさんが自由気ままに書き綴る自分勝手なひとり言

レモネード

今週のお題「2012年、夏の思い出」


この夏の思い出といえば、これしかない。
頭も心も ( 体は別 ) 高校3年生に引き戻されたこと。

7月下旬、メールアドレスを同窓生名簿に載せている人宛てに一斉メールが届いた。
メールにはお盆に予定されている学年同窓会で披露される寸劇の脚本が添付されていた。
脚本を読むと、3年のときに交際していた3組のカップルが指名されて舞台に上がり、当時のデート、付き合いの様子、卒業後のことなどを話すようになっていた。
その中に、わたしとK君も入っていた。

これまで高校の同窓会に出席したことのないわたしは、そのとき既に欠席の返事を出していた。
でも、自分たちの交際が脚本に載るほど知れ渡っていたのに驚き、ふとK君に連絡を取ってみたくなった。
一斉メールはBCCでなくCCで送信してあったので、全員のメールアドレスがわかり、K君のもその中にあったのだ。

わたしは、寸劇のことに触れ、「出席したら大変なことになりそうですね。(~_~;)」と書いた。
直ぐにK君から返事が来た。
彼は出席することもわかり、懐かしさからしばらくメールのやり取りが続いた。

そして、同窓会が近付き、そろそろこれを最後のメールにしようと思い、
「もし、劇で指名されたらわたしは何を話すかな、って考えてみました。
多分、運動会を抜け出してバイクに二人乗りして倉敷へ行ったことなんじゃないかなと思います。
K君があることないこと何を吹きまくってもいいけど、次の機会にわたしが出席できないようなことは話さないでくださいね〜。」
でメールを終えた。

ところが、また直ぐにK君からメールが届いた。
彼の記憶では倉敷は2回行った、一回はバイク、一回は列車だった、列車のときはA君とBさんに会った、また、運動会のときは井原−笠岡のあたりで警察に止められたけど学校名を言ったら簡単に放免してくれた、と。
わたしは愕然とした。
倉敷へバイクだけでなく列車でも行ったこともA君たちに会ったことも警察に止められたことも全て覚えていなかった。
そして、翌日届いたメールには、バイクで倉敷へ行ったとき、途中でわたしが焼けたマフラーで右足首を火傷した、とあった。
これもすっかり忘れていた。
思わず右足首内側をしげしげと眺めたが、火傷痕のようなものは見当たらなかった。
そして、その翌日に届いたメールには、列車で倉敷へ行ったときは背伸びして倉敷国際ホテルでコーヒーを飲まなかったか?とあった。
まるでわたしの忘却ぶりに追い撃ちをかけるかのようだった。
わたしは一緒にコーヒーを飲んだことすら忘れていたのだ。

でも、K君のおかげで高3時代の出来事を次々思い起こし、その甘酸っぱい思い出にどっぷり浸った夏だった。