ポスト団塊世代のお気楽な日々

初老に近いおばさんが自由気ままに書き綴る自分勝手なひとり言

★中国人花嫁



   〜 2008/2/28 〜


昨日は日本語指導ボランティアの日。

授業が終わった後、生徒の中国人花嫁の一人から相談があった。
結婚紹介所のことについて知りたいと。
彼女は、まだ新婚ほやほや。
それなのに一体、何で?と思ったら、彼女の知り合いの中国人花嫁が最近、離婚したのだが、また日本人と結婚したい思っているので、紹介所がどこにあるのか知りたいのだと。
わたしは、そういう場所が市内にあるのを知らないので、とにかく調べてみるよと言って別れた。

その後、他のボランティアスタッフ達に相談したら、顔を突っ込まない方が良いよ、とにべもない。
面倒なことに関わっていると後々大変なことになるよ、と。
彼女のご主人も、結婚紹介所を通して結婚したのだから、ご主人に聞けば良いんじゃないの、と。
だけど、言葉の問題や何やら色々あって、それが難しいからわたしに相談したのだろうにと思ったが、色々話しているうちに、やはり、あまり深入りしない方がいいと思うようになった。

かつて、中国人花嫁の多くは福建省出身だった。
それ以前は上海などからもやって来ていたが、現在は、経済発展を遂げた上海から来る花嫁は、職場などで知り合った恋愛結婚のケースだけだ。
今では、黒龍江省遼寧省など東北部からやってくる花嫁が多数を占めるようになった。
たいてい、結婚紹介所を通じて日本へやってくる。
ブローカーから良いことだけを吹き込まれて日本へやってくるので、現実を知って失望することも多いようだ。

東北部はまだまだ経済発展から取り残された地域なので、純情、素朴、我慢強い人が多い。
それに比べ、同じように貧しい地域だが、福建省出身の花嫁はたくましかった。
福建省出身の花嫁の場合、偽装結婚に近いようなものも何組が見てきた。
日本でお金を稼いで中国へ帰るという目的で結婚した例がいくつかあった。

今でも忘れられないのは、若くて美人の福建省出身のAさんのことである。
彼女は、50歳の男性と結婚し、子どもまで生まれたのに、同じ福建省出身の花嫁、Bさんと一緒に大阪へ逃げてしまい、残された二人のご主人は本当にお気の毒だった。

思い起こせば、ある日、ふたりが突然、プランドの財布をわたしにプレゼントしてくれた。
どうして?と思ったが、いつもお世話になるからと言うので、それならと思い、ありがたく受け取った。
それが、Aさん、Bさんが日本語教室にやって来た最後だった。
ふたりはそれから数日後、婚家を飛び出し、よりお金の稼げる大阪に向かったのだ。

今も、毎月1件くらいのペースで新婚の中国人花嫁が日本語教室に入りたいと電話がある。
一体、彼女達の何割がここでの生活に満足できるのだろう。



   ***********************



ニュースを聞いていても、大阪で中国人女性が絡んだ事件が起こると、いつも緊張する。
Aさん、Bさんが関わっていなければいいが、と名前に耳を澄ます。
人の名前が覚えられないわたしだが、二人の名前だけは、今でも忘れられない。