ポスト団塊世代のお気楽な日々

初老に近いおばさんが自由気ままに書き綴る自分勝手なひとり言

知らなかった、、、

3か月ぐらい前だったか、とうとう、台湾ドラマがなくなった。
台湾ドラマでは視聴率が取れないのだろう。
仕方なく、中国ドラマを見るようになった。
中国語の勉強のためである。

「宮廷女官 若ギ」「傾城の雪」「続・宮廷女官 若ギ」と見ている。
「宮廷女官 若ギ」は既に終了し、今見ているのは「傾城の雪」と「続・宮廷…」である。
「宮廷女官 若ギ」はまあ興味深く見たが、後の2作は、荒唐無稽、ハチャメチャなストーリーである。
人もあっけなく、どんどん死んでいく。
まあ、それはどうでもいいのだが、出演者たちの声に違和感が常にあった。

この前娘たちが帰国したとき、婿殿も一緒だった。
夜、録画した「続・宮廷女官 若ギ」を見ていると、iPadを見ていた婿殿が手を止め、言った。
中国ドラマは吹き替えなのを知っているか、と。
俳優たちは皆、中国語で話しているのに、声優が全て吹き替えるのだと。

そうだったのか。
わたしの違和感はそれだったのだ。
でも何故?
婿殿の話では、俳優が寄せ集めだからだそうだ。
台湾、香港、中国大陸からの。
それで、普通話(プートンホア)と呼ばれる標準語に吹き替えるのだそうだ。

それを聞いていた娘が言った。
「それで、あの男の人、見たことあるんだ。
 わたしが台湾へ行ったばかりの頃、よくテレビで見ていたよ、彼。
 最近見ないと思ってたら、大陸に出稼ぎに行ってたんだねぇ」。

その彼は、「宮廷女官 若ギ」と「続・宮廷女官 若ギ」でヒロインの相手役をしている呉奇隆。
ネット検索してみると、金城武と同時代に台湾で活躍していた歌手、俳優とのこと。
さらに検索していると、「宮廷女官…」、「続・宮廷…」のヒロイン若ギを演じた女優と現実に恋人になったとか。
いやー、ネットというのは、人を簡単にゴシップ好きオバサンにしてしまいますなぁ。

年相応に

ソニー銀行の口座を開いたのが、確か10年ぐらい前。
インターネット銀行である。
ここで、ドル預金をした。
1ドルが100円ぐらいだったと思う。
円安になるのを期待していたのに、リーマンショックを境に、円はどんどん高くなり、一時、1ドルが70円台にまでなった。
円高気配が見えたときに少しでも損を免れるために売ってしまえばよかったのに、放っておいた。
ケチなわたしは1銭でも損をするのが嫌だったし、生きている間にはまた円安時代も来るだろうと思ったのだ。
あの頃、榊原英資さんや浜矩子さんは1ドルが50円の時代が間もなくやって来ると豪語していた。

ところが、今や、1ドルが110円台後半の円安。
でも、また円高になって不機嫌になりたくないので、ドルを全部売って円に替えた。
120円も近いとは思うが、そんなに儲けなくてもいいのだ。

で、今日、そのお金を引き出しに郵便局のATMへ行った。
ところが、「カード シヨウ フカ G60」というメッセージが出てきた。
続いて、「ソニーギンコウニ オトイアワセクダサイ」とある。
家に戻り、ソニー銀行のwebサイトを開いて、現金が引き出せない理由を探した。
すると、キャッシュカードで取り引きできない場合の原因に、「カードの挿入方向が正しくない」というのがあった。
思わず、キャッシュカードを見る。
カードの左右両端にそれぞれ小さな文字で「▲▲預金お取り引き」「▲▲ローンお取り引き」とある。
何気なくカードを差し込んだので、「▲▲ローンお取り引き」の方を使ったのだろう。
それが原因だったのか?

再び、郵便局へ。
今度は注意してカードを挿入した。
金額が千円の単位までしか打ち込めなかったが、とりあえず引き出しに成功。
引き出したお金はそのまま郵便貯金に入れておいた。
285円は残ったままだが、ともかく、ソニー銀行との付き合いはこれでおしまいだ。
わたしも、もう10年前のわたしではない。
面倒なものは徐々に手放して行こう。

成長

昨日、図書館へ行った。
新刊コーナーにあった一冊の新書に目がとまった。
「なぜ妻は、夫のやることなすこと気に食わないのか」
キャッチ―なタイトルである。
共感する妻たちには。

で、早速、手にした。
著者は男性。
男性読者を対象に書いているようだ。

サブタイトルは「エイリアン妻と共生するための15の戦略」とある。
エイリアン妻としては読まざるを得ないだろう。

問題は、受付けで本を差し出すこと。
日頃の欲求不満が顔に現れていては、いかにも、と思われてしまう。
そう思われても別にかまわないが、やはり、できれば避けたい。
無表情で行こう、無表情で。
ごく自然に差し出したつもりだが、受付けの女性の一瞬、にやけた表情を見逃さなかった。

帰宅後、夫の目に付くところに置いた。
わたしも読むが、夫にも読んでもらいたい。
しかし、夫はその本が目に入っても、一言も触れない。
わたしが夫のやることなすこと全て気に食わないとのを知っているはずなのに。
おかしい、、、
そうか、「触らぬ神に祟りなし」を地で行くつもりなんだ。
夫も賢くなった。

おじさんは怪物

娘が滞在中のある日、家の外から隣のおじさんの「大根、食べんかーーー」の声が聞こえてきた。
また、成長不良の大根か、と思ったので、娘に断わっといてと頼んで玄関へ行かせる。
しばらく二人は話していたが、断り切れなかったか、キュウリみたいに細い大根を5本提げて戻って来た。

開口一番、「スズキのおじさん、怪物じゃない?」。
一体、何を言い出すのかと思うと、娘曰く、

スズキのおじさん、とし、一体なんぼになっちゃった?
えぇぇぇぇぇぇ、92!!!
どう見ても70代にしか見えんよ!!
わたしが子どもの頃から全然、変わってんないよね。
一体、どうなっとるん??
やっぱり怪物よ〜〜〜。

その翌日。
数軒先の家のご主人が夫を訪ねて来られた。
不在の夫に替わり、娘が玄関へ。
娘とはもう20年くらい顔を合わせていない。
耳を澄ますと、二人とも何だかぎこちない。
「え、△子ちゃん?あの△子ちゃんよね?」
「はい。
 サトウのおじちゃんに最後に会ったのは小学生の頃だと思います。
 サトウくん、元気ですか?」
などと、一級下の幼なじみの話などしている。
浮かない顔つきで戻って来る。

娘 : サトウのおじちゃん、すごい年取っちゃったねぇ。
    始め、誰かわからんかったよ。
私 : まあ、向こうもそう思ってるんじゃない、△子を見て。
娘 : そうよね。
    そうしてみると、やっぱりスズキのおじさん、怪物よねぇ。

すっかり「怪物」が気に入ったようだ。
でも、どちらかっていうと、おじさんは「化け物」の方がピッタリだと思うけどね。 

役に立ったカケホーダイ

ドコモの携帯電話をカケホーダイプランにしてから3か月。
電話が苦手で、用がなければ電話をかけないわたしは、さほどその恩恵にあずかってはいなかった。
ところが、今回、これがとても役に立ったのだ、娘の帰国で。

娘に固定電話にかけても携帯にかけても無料のプランに変更したことを告げると、娘は電話魔に変身。
日本の友達に彼女たちの都合のいい時間を訊いては、かたっぱしから電話をかけていた。
一度かけると1時間では終わらない。
ほとんどの友達が育児経験者なので、育児相談にものってもらえる。

授乳し、おむつを替えると、わたしの携帯を持って家の隅にある夫の書斎へこもる。
おしゃべりは延々と続く。
赤ん坊が泣いてもあやす人(わたし)がいる。
心置きなく、声がかれるまでおしゃべりに興じる娘。
電話の後の爽やかな娘の顔。

娘の電話好き、話好きは夫の血筋か。
父親に似たところは色黒なこと(可哀想に!)ぐらいだけかと思っていたが、電話好きもあったと気づいた今回の帰国であった。

インターネットは相談役

わたしが赤ちゃんの世話をするのは娘を育てて以来30数年ぶりのこと。
あの頃のことはもうすっかり忘れている。
娘に相談されても即答できないことは数知れず。

娘たちが滞在中のある日のこと。
おむつを替えようとすると便に少し血が混ざっていた。
驚く娘。
わたしも一緒になってオロオロする。
口に入るのは母乳だけなのに血便が出るなんて何故?
皆目、見当もつかない。
もちろん、娘が4,5カ月の頃、血便が出たことがあるかないかなんて覚えているはずもない。

直ぐにパソコンの前に座る。
「乳児 血便」とキーワードを入れてGoogle検索をする。
すると、母乳だけで育てている場合は血便はさほど珍しいことではないことがわかった。
更に、数日続くようなら病院へ行くようにとのアドバイスもあった。
それで、しばらく様子を見ることにした。

結局、血便は一日で終わり、病院へも行かずにすんだ。
インターネットは立派に新米ママの相談役を務めてくれたわけだ。

やっと一息

最後にブログをアップしてから1か月。
何ともまあ慌ただしいひと月だったことよ!
娘一家を迎える準備、滞在中の世話、帰ってからの後片付けとあれこれ残務整理。
今やっと一息ついている。

いつもは老夫婦二人のシンプルな生活。
そこへ娘夫婦が加わると、時間は2倍の速度で過ぎていく。
更に4カ月の孫が加わり、わたしの時間はほぼ皆無となる。
娘一家中心の生活に振り回される。

娘たちがやって来て数日後に届いた、予約していた本の準備ができたという図書館からのEメール。
2冊とも8人待ちでやっと番が回って来た本。
2週間以内に返却しなければならない。
タイミングが悪かった。
2冊とも一度も手にすることもなく、空しく返却ポストへ。

でもまあ赤ん坊というのは可愛いものだ。
笑顔ひとつでこちらまで気分が明るくなる。
逆に、泣いてぐずっていると、こちらまで悲しくなる。
なので、お乳を飲んでも、おむつを替えても泣き止まない時は、つい抱っこしてしまう老夫婦。
孫もじーさん、ばーさんの声が聞こえると、抱っこ要員が控えているのを察し、泣き声も一段と大きくなる。
それが気に入らない娘夫婦。
そのことで一度、娘夫婦と揉めた。

泣かせっぱなしにするのを間違っていると思わない婿殿に対し不満を漏らす夫。
普段、娘の言いなりになっている夫が珍しく娘夫婦に反論し、二人を諌めた。
赤ん坊のうちは、しっかり抱っこしてやらなければならない、抱っこしてやることで親子の信頼関係が築かれるのだ、と。
へー、意外とわかってるんだ、夫も。
ちょっと見直した。
娘たちも夫の意見に納得した。
ように見えた。

重いっ!

昨日、久々に娘とSkypeをした。
久々に見る孫。
よく太っている。
丸々している。
これで4か月か。
訊けば、8キロあると言う。
△子が4か月の時はどれくらいだった?と尋ねる。
娘の成長の記録を記した母子手帳は今、娘の元にある。
6キロよ、と。
やっぱり、ちょっと太り過ぎじゃない?と言うと、男の子だから大きいんじゃないの、と気にする気配はない。
母乳だけでよくもまあそんなに大きくなったものよねぇと感心する。

パソコンのディスプレイに映るのは孫。
聞こえてくるのは娘の声。
孫の様子を見ながら娘と話す。

孫が寝返りを打つ。
しかし、寝返ったまま元に戻れず、大泣きが始まる。
娘の声を掻き消すほどの大きな泣き声。
暢気に話してる場合じゃない。
Skypeは終了。

夜、夢を見た。
孫が出てきた。
わたしは孫を抱っこしようと手を伸ばす。
重い。
何とか抱っこしたのはいいが、あまりの重さにわたしはぶっ倒れ、孫の下敷きになる。
苦しい、、、
ここで目が覚めた。

やれやれだ。

黄昏泣き

娘から「ベビーシート」なるものの存在を聞かされた時も驚いたが、今朝のメールでまたまたびっくりした。
黄昏泣き」などという言葉があるらしい。
生まれて初めて聞いた。

メールには、
  大体、午後3時ぐらいから7時ぐらいまで、機嫌が悪く、
  かまってやらないと、泣きがエスカレートして、
  抱いても、あやしても効果なし。
  5、6ヶ月まで続くといわれる「黄昏泣き」と思われる。
と書かれていた。

「ベビーシート」でも書いたが、わたしは一人しか子どもを育てていない。
しかも、もう30数年も前の話。
あの頃のことはすっかり忘れている。
でも、ベビーシートがなかったこと、チャイルドシートさえなかったことは覚えている。
赤ん坊は母親が助手席でしっかり抱っこして乗ったものだ。

黄昏泣き」については、偶々、娘がそんなに泣く赤ん坊じゃなく困ることもなくて、「黄昏泣き」を知ることもなく過ぎただけのことで、昔からあった言葉なのかもしれない。
と思うしかない。

2週間もすれば娘たちがやって来る。
飛行機の中で泣き喚かないだろうか。
新幹線の中で他の乗客に迷惑をかけないだろうか。
なにしろ、日本は公共の場で赤ちゃんが泣くのは疎ましがられる不寛容な国だ。
台湾とは違う。

200円也

Mさんはパソコンサークルのメンバーで、もう20年近い付き合いになる。
間もなく喜寿を迎えようとしている大先輩の男性だ。
そのMさんからテレビ台は要らないかと電話があった。
EさんにもKさんにも断られたが、ユリさんはどうか、と。
見てみないことには決められないと言うと、直ぐに愛車のフォルクスワーゲンGolfで駆け付けた。
トランクを開けて、驚いた。

な、なんと、それは、以前、わたしの家で使っていたテレビ台ではないか!

これ、東芝バズーカのテレビ台じゃないですか!
ガラス製の観音扉が付いていたでしょう?
そういえば、ずっと前にパナソニックのテレビに買い替えた時、テレビ台も一緒に買ったので要らなくなってMさんに持って帰ってもらったような気がします。

立て続けに喋るわたし。
呆然として聞くMさん。
すっかりそんな記憶は欠落している様子。

Mさんも最近は熱心に「終活」に取り組まれていて、蔵にある不要品をせっせと処分中。
あのテレビ台も持ち帰ったものの利用されないまま、ずっと蔵の中で眠っていたらしい。

粗大ごみの日に出せば、持って帰ってもらえますよ、と言うと、リサイクルショップへ持って行くとのこと。
500円くらいにはなるはずだ、と。

そして、5分後、電話があった。
「200円で売れたよ」。
「そうですか。まあ、ガソリン代くらいにはなりましたね」。

ブログの【記事一覧】から検索して調べてみる。
やっと液晶テレビ」を読むと、12年前に東芝バズーカは処分したことがわかった。
そんなに前のことなんだから、まあ、Mさんだって覚えているはずないよね。
なにしろ、もう直ぐ喜寿なんだから。
喜寿喜寿って、ちょっとしつこい、ですかね)

な、ないっ!

4年2カ月前、ネット通販で掃除機を買った。
掃除機は比較的長持ちするので、5年保証の家電量販店で買わなくても大丈夫だろう、と思ったから。

買ったのはSHARPの紙パック不要のサイクロン式
重いのが難点だったが、紙パックの交換が要らないので便利だった。

数日前からスイッチを入れると大きな音がするようになった。
騒音にもめげず使っていたが、とうとう、今朝、音もしなくなった。
運転しなくなったのだ。
モーターが壊れたのかもしれないと思いつつ、ともかく取説を探した。

「故障かな?こんなとき」に「途中で止まる」という項目があり、掃除が必要らしいことがわかった。
これまではゴミ捨てサインが出ればゴミを捨てるだけだったが、「お手入れする」に従って丁寧にやってみることにした。

ダストカップセットを分解して掃除するようになっていた。
指示に従ってダストカップのフィルターカバーを外して驚いた。
中に入っているはずのHEPAクリーンフィルターというものがない!
それが入っているべき部分が空洞になっている!!
そのせいで音が大きくなったり壊れたりはないはずだが、ともかくお客様相談センターへ電話してみた。

話を聞いて、担当の人曰く:
HEPAフィルターは小さなゴミを拾う役目がありますが、これがないせいで掃除機が不調になることはありません、4年も何事もなく使われたのですし。
1年以内なら保証期間ですから何とかなりますが、もう4年も経っているとどうしようもありません。
そりゃ、そうだろう。
きちんと定期的にお手入れさえしていれば、部品が欠如していることにも気づいたはずだ。

それにしても、家電量販店で買っていれば無料修理だったのにと思うと、悔しい!
念入りに掃除をして、今のところ、また運転するようにはなったが、壊れるのは時間の問題だろう。
新しい掃除機を買わねば。
でも、絶対にSHARPのは買わないぞ。

健康寿命

この数年で「健康寿命」という言葉が普通に使われるようになった。
はたして、この「健康寿命」とは何なのか。
厚生労働省の定義によれば、「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」のことを言うようだ。
Wikipediaによると、「日常的に介護を必要としないで、自立した生活ができる生存期間のこと」とある。

どちらも曖昧な表現だ。
知りたいのは、具体的にはどうやって調べたのかということ。
介護保険を利用している人の数から算定したのか?
例えば、要支援ならいいが、要介護1になれば、そこで健康寿命は終わり、とか。

そんなことを考えたのには訳がある。
昨日、ニュースで、男性の健康寿命が71歳、女性が74歳だと言っていた。
男性は71歳になれば自立した生活ができない人が半分はいるということかか。
信じられない。
70歳を過ぎたばかりの男性のほとんどは元気溌剌していらっしゃる。

また、平均寿命との差は、男性は9年、女性は12年もある。
周りを見回しても、10年も介護を必要としているような老人は本当に少ない。
わたしの親戚、ご近所さん、知り合いで、そのような人は居ない。
偶々なのか。

厚生労働省はどのようにして健康寿命を算定したのか発表して欲しい。
新聞も書いて欲しい。
テレビも放送して欲しい。
ただ、数字を並べるだけでなく。

ご飯が進む

料理番組が好きで、特に「きょうの料理」はよく見る。
また、晩ご飯のメニューが決まらない時などは料理関連のwebサイトをよく参考にする。
その時にいつも思うことがある。

きょうの料理」のアナウンサーがよく使う「美味しい!これはご飯が進みますねぇ」。
webサイトのお勧めポイントでしばしば目にする「ご飯が進みま〜す!(^^)!」。

ご飯が進む、と聞いただけで、あるいは読んだだけで、わたしはこれは作らない、と思ってしまう。
ご飯が進むということは炭水化物を摂りすぎるということ。
炭水化物だけではない。
塩辛い、あるいは甘辛いからご飯が進むのだ。
塩分、糖分をしっかり摂るということだ。
別に美味しいからご飯が進むわけではない。

ご飯が進むと聞いて、じゃ作ってみるか、と思う主婦がいるだろうか。
これだけ世の中が痩せ志向、健康志向になっているのに、使い古された言葉だけが廃れずに褒め言葉として残っている。

不思議な現象だ。

もういい

オニグルミを洗い、陰干ししてから1週間。
気の短い夫が、どんな塩梅か早く見てみたい、とうるさく催促するので、少しだけ割ってみることになった。

ネット検索した人様のブログを参考にし、先ずは鍋で煎って割れ目が開くのを待つ。
10分くらいで開くのもあれば、1時間煎っても開かない強情なのもある。

割れ目にマイナスドライバーの先端を当て、グリップの頭を金槌で叩く。
二つに割れたら先の尖ったピンセットで中身をほじくり出す。
思っていたようにきれいには出ない。
殆どが崩れてしまう。
味見したところ、意外にも脂肪分も豊富で美味しかった。

]

2時間かかって収穫はわずか40グラム。
クルミ食パン1斤分。
まさに、労多くして実少なし、だ。

結論としては、もういい。
もうこりごり。

夫は、次の実が落ちているはずだから取りに行こうとしきりに誘うが、そんな気分にはなれない。
拾うのは確かに楽しい。
しかし、固い殻を割り、中身を取り出す作業は、根気が要る。
ただただしんどいだけ。
夫も最初のうちは調子よく割っていたが、いつの間にかこっそり姿を消していた。

オニグルミはあと4分の3も残っている。
しばらくは見たくもない。

高野悦子

今週のお題「憧れの人」

大学1年のときに、高野悦子の「二十歳の原点」を読んだ。
何度も何度も繰り返し読んだ。

内容は衝撃的であり、高野悦子は憧れの対象になった。
大学の4年間、いつもわたしの心には彼女がいたように思う。
いや、娘を産むまで彼女を引きずっていたような気がする。

高野悦子さんの写真は、どれもかわいかった。
そして、見るからに繊細な感じのする女性だった。
そんな彼女は学生運動に関わり、失恋し、生きることに悩み、自死の道を選んだ。

もし、近くに65歳になった彼女がいたら、などと突拍子もないことを考える。
憧れのお姉さんの家に、足繁く通っているに違いない。

彼女はひとり暮らし。
わたしの話すことを静かに聞いてくれる。
そして、正してくれる。

ないものねだりである。